ota-syotenのブログ

日々の色々なこと

着物のリメイク

 実家に、母と祖母のもう着ない着物が眠っている。これまでは全く興味がなくて、タンスを開けて見たこともなかったのだが、たまたま目にした着物をリメイクしたという服を見て、その素敵さに目からうろこ状態となった。いかにも和風感満載のものではなく、かと言って奇抜でもない、さり気ない、渋い、シンプルでいて、可愛く、しかも、こなれた感というのか。とにかくいい感じなのだ。

 自分も作ってみたいと思い実家に向かった。母に古い着物が欲しいというと、ぜひ持って行ってくれという。タンスから出てきた祖母の着物は、普段着なのであろうが、柄がとても素敵だ。純和風なものもあれば、モダンな感じに見える柄。北欧風に見えなくもない柄もある。

 改めて思い起こせば、私は祖母の好みなどほぼ知らずにいた。生まれたときから23年間一緒に暮らしていたのだが、なぜか全く記憶にない。不思議なものだ。祖母が幾つくらいでどんな用途で選んだものなのだろう。亡くなった今では知るすべもないのだが。とにかく、意外と好みが一致していることに驚いている。

 引き出しを開け、包んである紙をめくるたびに、『おー!かわいい!』という声が出る。横に立っている母は少し悔しそうにも見える。『私の着物も見てくれ』と言うのだが、いろいろと容量が少ない私は、数枚ずつしか消化できないのだ。『今度ね』と言い、実家を後にする。

 『祖母ちゃん、ありがとうね』と言っては、着物を解き、洗って布一枚ずつアイロンを掛け、そこからやっと服作りだ。意外と手間がかかるのである。布幅が狭く、縫い合わせる必要もある。だが、着物地の持つ個性が生きるのは、シンプルな形だと思うので、複雑な縫製はしなくていい。そんな風に布地と付き合ううちに、ますます愛着がわくというものだ。

 出来上がりを着ていると、いろんな方が興味を持ってくれる。着物リメイクは、思うよりも人気があるのかもしれない。そしてふと思ったのだが、私は母の好みも知らない。着物姿は見てきたと思うのだが、やはり記憶にない。私が家族にあまり興味を持たなかった理由は良くわからないが、そうやって生きてきたらしいことが今になって判明した。次に実家に帰ったときは、母の着物をもらってこようと思っている私である。すごく私の好みと反していたら…と思うと少し怖いのだが。

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 一つ困ったっことがある。着物の知識が全くない私は、その着物がどういう生地で出来ているのかが判らない。雑誌やネットで見て推測することしかできないのである。お店で買えば、教えてもらえるのだろうが、実家の着物となると。しかも購入者はもうこの世にいない。鑑定するような代物でもないし。そんな時はどうしたらよいのか、どなたか教えていただけないものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お散歩巾着

 歩くということには瞑想と同じような効果があると聞いた。潜在意識とつながれる。ひらめきが下りてくるらしい。今の私は、大体のことをひらめきに任せている。なので、散歩は大切だ。なるべく身軽な持ち物で、歩きやすい靴で出かける。究極ポケットに鍵だけ持って出かけられれば良いのだが、そうもいかず、携帯とハンカチ、小銭くらいは持ち歩くことになる。

 そこでひらめいたお散歩巾着だ。とか何とか言っても、巾着のサイズを持ち物の量に合わせただけなのだが。

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 パッチワークでオリジナル感を出しつつ、春らしさと可愛らしさと、大人感。これをぷらぷらとさせながら、好きな道を歩く。もちろん、瞑想効果も期待しつつ、身体も動かせて、気分も良くなる。無人販売にも寄れるし、車を停め辛い店にも気にせず立ち寄れるのも、徒歩の強味であるのだ。ただ、荷物が増えすぎないように気を付けなければ!  

ありがたいの波紋

 ある時から、『引き寄せの法則』という言葉を聞くことが増えた。自分の思考が現実を作っているというのだ。どういうことだろうと、まず思った。スピリチュアル的な?もしかしたら、気の持ちよう的な?話なのかと思っていたら、意外にも物理学的にも証明されているという。『二重スリット実験』とか『シュレーディンガーの猫』とか…。私にはうまく説明できないが、どうやらこの世の中は、今まで思い込んでいたものとは違う法則で成り立っているらしい。

 

 「うーむ…」そうであってほしいが、あまりに自分が信じてきたものと違いすぎる。そこで、いろいろな本や、動画や、ブログなどを見てみると、だんだん本当なのかもと思い始めた。ならば実験をしてみよう。自分が望むことを思い描き、そして、日々を楽しむ。まあ嘘であってもその時はその時で考えればよかろう。そして楽しく暮らす。楽しいことを常に選びながら過ごす。愛と感謝の気持ちを持ちながら暮らす。

 

 だがしかし、楽しいばかりの人生に慣れていないためか、なかなかに難しいものだ。つい、ネガティブな世界を垣間見ては、ネガティブな気分に陥ってしまう事もある。

 

 それでも、そうこうしながらも、ふと気が付くのだ「あれ?アレとコレ、叶ってるよね」。ああなって欲しい、こうなってほしい、そう思っていたことが、実にさり気なく現実化している。それに気が付いたときの気分の高揚は、半端ない。自分でも思考を現実化できるのだ。すごい!

 

 まだ、メインの願いは叶っていないが、こうやって、気分良くしていれば、いずれ叶うはずだ。素晴らしいシステムではないか。

 

 だがしかし、ネガティブはやってくる。どうしてもやってきては、しばらく滞在する。「ドヨーン」とした気持ちになり、相手の言葉を素直に受け取ることができなかったり、やはりそんなにうまくはいかないはずだ…と思ったりしてしまう。愛と感謝など忘れ、イラッとしてしまう事もある。「やばい!このままでは、ネガティブな現実を引き寄せてしまう。」そんな焦りみたいな気持ちも出てくる。

 

 そんな時私には、最近どなたかの動画で目にしたやり方が、意外と効くと気が付いた。深呼吸をして、息を吐くときに「あー、ありがたい」と、しみじみと体に浸み渡らせるように声にするという方法だ。それをやると私は、本当にありがたいような気持ちになるのだ。感謝が体の細胞に浸みていく感じというのか。その時の自分は、もうネガティブな気持ちではない。ウキウキワクワクではないが、力が抜けていくような、大丈夫なような気持ちになれる。そして、そうなったことに、また「ありがたい」と感じ、波紋のような「ありがたい」の感情が広がる気がする。そしてまた、ポジティブに戻れる。

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「ありがたい」は素晴らしい。今日もまた、「ありがたいの波紋」を広げて、眠りにつこう。そして、ありがたいと思える現実を引き寄せるのだ。

 

 

 

 

野草が気になる

 最近、散歩が趣味である。座ってやる仕事が多いため、どうしても体がなまってしまい、おなか周りが以前とは違う気がする。以前は体を動かす仕事をしていたためか、なんとか体型を保ってきたが、辞めた今は悲しいかな、やはりお腹は出てくるのである。だからといって、散歩がお腹をへこませるのに効果的かどうかは分からないが、血の巡りはよくなる気がする。で、近所を歩き回る日々です。f:id:ota-syoten:20220426172456j:image

 

 と言っても、家の周りは特に何の店などもなく、田舎の住宅街である。その中からも、なるべく緑の多い道を選んで歩いている。畑の周りを通ってなんとなく草木が生い茂った道を選び、木や草を愛でながら歩く。癒される時間だ。

 道端に生える雑草の中には、私でも名前を知っているものがあり、なんだか顔なじみの感覚を覚える。ヨモギや、タンポポ、野蒜、スギナ、ヨメナカラスノエンドウなどなど。あとは、ぺんぺん草や、毛虫が怖いパンパン草。こうやって思い出すと、意外といろいろな名前を知っているものだと気が付く。懐かしい昔馴染みとでもいうのか。

 

 何かの本で、散歩中に出会う木の中に、自分の木というものを決めると良いというのを読んだことがある。散歩が楽しくなるということだったかどうか…。だが、なかなか出会わないものである。同じところばかり歩いているからか。だいたい公園でもないので木といえばよそのお宅の木だし、なんだか人見知り(木見知り?)してしまう。ということもあり、足元の野草ばかりに注目しながら歩いている。可愛い花が咲いていたり、生き生きとしたみずみずしい葉がとても美しい。愛おしいというのだろうか。そして、なんとも美味しそうである。

 

 野草には、ものすごいパワーがあり、心身の不調を整えてくれるものもあるらしい。食べられる野草や、毒のある野草などいろいろと学ばなければならないこともあるが、いつか生活に取り入れてみたいと思っている私だ。まずは、ヨモギと野蒜あたりから…。

ハンドメイド

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良い生地が見つかり、多めにハンカチを作ってみた。

出品してみたけど、とても不安だ。どうしたら買ってもらえるのかな?

コメントで、"ハンドメイドというのは、自家製のことですか?それともどこかのメーカーが出しているハンドメイドということですか?"との質問があったので、

"自家製です"と返したものの、それは自家製イコール誰が作ったのかわからないという心配なのかも…とか思ってみたりして、少し落ち込んでる私。

しかし、そういう方はハンドメイドを求めないだろうとも思えるし…

まあ、人それぞれってことですね。というか、私の説明が、言葉少な過ぎたのが一番の問題だろう。

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ところで、先日の布のミミ問題だが。ポケットに使用してみた。ミミだけに、縫い代が少なくなってしまうのだが、ギリギリOK?ダメ?

 

 

え?会ってもらえない?

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しばらく会ってなかった友人に、久しぶりにLINEで連絡を取ってみた。

お互いに気にかけていながらも、最初の頃は疫病を恐れて、"しばらく様子見ようね"なんて話していたのだが、それは収まるどころか、エスカレートの一途を辿っている。

そうこうしているうちに、一年以上が経過して、さすがに間が空いたなぁと思いつつ連絡を…

すぐに返信があり、"お互い元気そうで良かったね"となり、近況をやりとりしていた。

彼女は同じ職場の同僚でしたが、数年前に引退して、今は旦那さんと猫達と気ままに暮らしています。なので、きっと私よりもテレビを見ている時間が長いのではないかと勝手に思っている。

だいたい私は職場くらいでしかテレビは見ない生活だ。なので、何となく彼女とは意識のギャップが大きくなってしまったのかもしれない。

そろそろ会っても良いのではないかという話になり、もうワクチンを打ったという彼女に、"私はまだだよ"と返した途端に、返信が途絶えてしまった。

⁇⁇

と思っていたら、一晩経って、"会えません"というLINEが…

へー!って感じである。そんなところに行ってしまったのね!って。

もちろん、考えかたは人それぞれでみんな自由だ。でも、そんなに?って思ってしまいました。なんだろうか、寂しくもあり、おかしくもあり…?びっくりが1番かなぁ。

一応、"LINEでも話はできるからね〜"と、言っておいたが、触れる情報によっては、全く住む世界が違ってしまうという現実を実感した出来事でありました。

まざまざと…

 

 

 

アトリエ?

布を断つ時に、家にあるテーブルでは狭過ぎて、ツルツルと滑り落ちてしまう。そこで、ネットで見つけた大きめの折りたたみ式の作業台を買ったら、これが思いの他大きくて、リビングの空きスペースには収まらない。

既存のテーブルやらを他に移して部屋の真ん中に作業台を置くことにした。

するとそこはもはやリビングではなく、アトリエである。すごい!

…けど、リビングは無くなってしまった。

あれ?…ってなっている昨日、今日。

いろいろなものをあっちこっち移動して、生活しやすいようにしなければならない。なかなかの模様替えになってしまうなぁ…。

億劫に感じてしまうけど、それもまた楽しいと思って、ぼちぼちやっていこう。

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しかし、1番困るのは、ほとんど観ないテレビの存在感だなぁ。しかし今はまだ捨てる勇気が出ない。ゆっくり考えよう。